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主夫太郎2

Author:主夫太郎2
現在専業主夫です!
漁と猟の両方を楽しんでカミさんに栄養を供給するつもりでいます。以前お料理ブログをやってましたが不評だったので猟関係を交えながら僕の日常をレポートします。

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主夫太郎アーカイブス~貸本屋のおばさん~

2015.10.05 08:00|雑文
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は~い!!!

元女子高生のみなさ~ん!!

主夫太郎は今は北海道です。

その間に「隠居な男の主夫ブログから」

記事をお引越ししますよ~

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以前僕がやっていたブログ、「隠居な男の主夫ブログ」というのはそこそこの人気が今考えるとあったのかもしれないが、とにかく文章が長いものがあって読みずらい。とはいっても折角長い文章を書いたのだからいつかは閉じるであろう前のブログから僕が北海道に留守の間に「主夫太郎アーカイブ」として自動更新機能を使いこっちに引っ越しさせることにしました。ですから以前からの読者さんにとっては新しくもなんともない記事ですので読まなくても同じですよ。全く主夫太郎の都合での更新です。ではどうぞ!

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「ウルトラマン研究序説」
発行されたのは奥付をみると1991年の12月だから昭和は終わっている。
昭和のヒーローの代表格であるウルトラマンはもちろん僕の心のなかに今でも息づいているのだけれども
今回はウルトラマン自身のことではなくこの本のお話。僕が大学4年生の卒業間際のとき買いたいと思ったのに買えなかった思い出の本だ。金の帯が掛っている薄い本だけど1400円。なかなか高い本だが買えなかったのは品切れだからでも高価だったからでもなかった。

一年間浪人の後に田舎から脱出して一人暮らしをしながら東京で大学生活をすることになったときは本当に「不安と期待が入り混じっている」という表現がぴったりだった。下宿として借りた部屋の最寄駅は赤羽駅、埼京線で池袋まで20分くらいのところで、駅の周りには飲み屋街があったり商店街があったり随分と上京したばかりの僕には賑やかに見えた。群馬の実家は隣の家まで100メートル以上あるような田舎だったから、赤羽が東京のはずれでそれほど栄えているところではないと気付くのには随分と時間がかかった。

大学までは一時間もあれば到着できるのだけれども、埼京線が殺人的に混雑していること、授業が退屈なことが手伝って僕は大学の授業に通わなくなってしまった。卒業はするつもりだったから語学と出席を取る一般教養の授業は出ていたけども、学問なんて自分で勉強すればいいわけだし大学の授業に通わなくても不思議と「大学からドロップアウトしてしまうのではあるまいか」という不安はなかった。

学校に行かない分、勉強なんかに疲れたらよく赤羽をあてもなく散歩した。商店街というのは一つ一つの店が、今から考えると「昭和」というテーマパークのアトラクションに見えて、そこをブラブラするのは本当に面白かった。すずらん通りを駅の方から歩いてくると、服屋、魚屋、パン屋、ゲーセン、パチンコ屋なんかがあってダイエーの前の道を左に曲がると、角に床屋、それから銭湯、町医者があって、しばらく進むと赤羽警察署があった。
今は移転してしまって警察署はないけれども、僕の借家はこの警察署の裏にあって治安もきっといいだろうと親は安心していた。このすずらん通りから警察署に向かう途中に気になる「店舗」を発見したのは、4月の末くらいだったろうか、もう少し前だったかもしれない。


それは、アルミサッシの扉で中が全部見えるような構えになっていた。中は奥行きは3メートル弱、幅4メートル弱といった大きさで壁が全部本棚になっていて、よく覗いてみると漫画本、文学書、小説なんかが雑多に並んでいて本屋に見えなくはない。左奥の隅には奥の母屋につながっているであろう入り口があり、その入り口の前に小さな机と椅子が置いてあった。奥の母屋と本が並んでる「店舗」とは床面の高さに差があって、店舗から母屋に行くときは大人の膝くらいの段差を登らなければならない。何度か通りかかったが、カーテンが閉まっていて中が見えないこともあれば、カーテンが開いているときもあるが、決まってカーテンが開いているときでも人はいなかった。今の僕なら、薄気味悪がって入ろうとは思わないけれども、当時は少し躊躇はしたものの、暇過ぎることが手伝って、ある日アルミサッシを開けてみることにした。

サッシを開けるとピンポーンと電子音が鳴る仕掛けになっていた。
しばらくすると奥から「はーい」とハスキーな女の人の声がして、バタバタと足音がしたかと思うと、母屋に続く引き戸がガラッと開いて白髪の痩せた初老(?)のおばさんが出てきた。出てきたと思ったら、母屋の入り口のところ、店と母屋との段差を椅子がわりにして、机を前にしてチョコンと腰をおろして、
「いらっしゃいませ」
と言って僕の顔をみてニコニコと笑った。いらっしゃいませと言われても一体何を商売にしてるかわからないので, 「あのー、ここは何屋さんですか?」
と僕は尋ねた。
「はい、貸本屋でございます」
とおばさんは神妙な顔になってペコリと頭をさげながら言った。そして顔を上げたらまたニコニコと笑った。貸本屋というのは全く予想外だった。群馬の田舎には古本屋さえないし、貸本屋という業種は言われれば想像はつくけれども、実際見たことは無く聞いたことさえ初めてだった。とにかく驚いてあまり言葉がでないのだけれど、会話をつづけようと思った。
「ということは、本を貸してくださるんですか?」
「ええ、ここにある本は全てお貸しします、はい」
と真面目な顔で答えた。どうもお客の質問には真面目な顔で応じるというポリシーらしい。
「はー。そうなんですか」といって僕は壁一杯の本をぐるりと見回した。
おばさんは僕の視線を追いながらまたニコニコして、しかも今度は嬉しそうな顔をして僕に話かけてきた。
「貸本屋というのは初めてですか?」
「はい、聞いたのも初めてです。僕の実家の近くにはなかったですねぇ。」
「失礼ですが、どちらのご出身ですか?へー群馬ですか。それで学校に通うのに東京に。」
などと話しが幾らか始まった。が、あまり商売と関係の無い話で僕がベラベラと喋るのもなんだから、
また貸本屋の話に戻した。
「ところで、どうやったら本が借りられるんですか?会員とかになるんですか?」
「えー、それじゃあね、この帳面に住所とお名前、それから電話番号をお願いします」
と言って脇から大学ノートを出してきて鉛筆を差し出した。ノートを帳面というところが、なんとなくお袋と似てて、好感を持ってしまった。僕は言われるままに住所と名前と電話番号を書いておばさんに渡した。
「えーと。○○さん、はい、あらすぐ近くにお住まいなんですねぇ。はー警察の裏?」
とまたまた雑談が始まったが、気になっていることを先に聞くことにした。
「えーと身分証明書は大学の学生証しかないんですけど」
と僕は申し訳ないような口調をして言った。
「あ、結構ですよ。ここに書いて下さるだけで結構です」
とおばさんは当たり前のように言った。

危なっかしい信用の上での商売だなぁと思ったが、つまりこの貸本屋さんの顧客は多くなくて基本的に顔パスなんだろうと理解した。その証拠に会員証なぞの類のものは一切くれる雰囲気は無かったし、「手続きはこれでおしまい」とばかりにおばさんはノートを仕舞ってまた僕の方をみて何か話をしたそうにしていた。とりあえず、このお店の営業時間を聞いてみると、午後の4時から8時までだが、場合によっては3時から開くこともあるとのこと。
随分と呑気な商売があるもんだなぁと思った。あんまり商売と関係ない話が始まるのもおばさんに悪いと思ったので、「それじゃ、今日はこれでも」といって僕は「こち亀」の最新刊を借りて100円払ってお店を後にした。

借りてきた「こち亀」はすぐ読み終わったから、その日のうちに返却してもよかったが、面倒になってやめた。それよりもなによりも夕飯の支度でもしているだろう時間に漫画を返却するためだけに、母屋の奥からあの細身のおばさんを呼び出すのはどうも気の毒な感じがした。次の日に本を返しに行くとおばさんはまた、奥から「はーい」と出て来て机の前にチョコンと座って「いらっしゃいませ」と言う。これだけ丁寧だと「本を返すだけに来ました」とは言えなくなってしまった。

昨日散々と店の説明をさせて100円ポッチをはらい、今日返して何も借りないとするとおばさんは一日あたり僕から50円しか取ってないことになる、と、一瞬のうちに考えてしまった。スーパーの試食でも、一口食べてしまうとつい買わずにはいられない性格の僕としては、こうなると借りたい本があろうが無かろうがとにかく借りるということにして本棚を端から見回した。おばさんは僕の目線を追いながら、ニコニコしているが、それまで沢山漫画を読んだわけでもないので僕は読む漫画に困ってしまった。あまり長い沈黙も苦しいので、
「人気の漫画って何かありますか?」
と聞いてみた。
「『うしおととら』なんて人気らしいですよ」
と言ってくれたので、そんじゃぁそれでと借りることにしてまたまた100円を払って店を後にした。

家に帰って漫画を読みながら少し憂鬱になっていた。こんな調子でおばさんのところに通っていたら、読みたくもない本を借り続けなければならない気がしてきた。もっとも漫画は面白いし、安い娯楽もそんなに無いから悪いわけではないのだけれども、なんとなくこのままズルズル一日100円づつの出費をしてゆくことになりそうだった。お袋に電話すると、
「一日100円くらいならいいがね、おばさんだって大して儲かるわけでもないんだから借りてやんなね」
というのだけれども、100円がどうのというよりも、本を借りないでさっと帰るある意味の「都会ゆえの無情さ」が身に付かないのでは、常に心に秋風吹かせている人々が集まる大東京で、今後どんな一方的に不利な義理立てをしながら生きてゆくことになるのか本当に不安にもなった。こんな性格は「スーパーで試食をしたら必ず一つは買わなければならない」というお袋の教育の賜物ではあり、自分では嫌いな性格ではないのだけれども、スーパーなら試食しなければいいが、今回は何か微妙な人間関係を作ってしまった感があってそれを自分で断ち切らなければならないという大仕事が控えているような気がした。

東京生活が開始早々に大きな難題が突き付けられた気がしてそれが大きな不安になっていたのだとおもう。
大人になれば全く笑ってしまうくらいのヘンテコな不安を抱えながらも「うしおととら」を借り続ける日が続いたある日のこと......
いつものようにアルミサッシを開けて電子音がなって、返事が奥から聞こえた後、おばさんが「いらっしゃいませ」と言ってチョコンとすわって、僕がありがとうございましたといって本を返して、次の巻を借りようとしたら、次の巻だけない。
「おばさん、次の巻がないよ。誰か借りたのかな?」
「あれ、そうですか?、ああ、その巻ね。それはねぇ、昨日売っちゃいました。」
と普通のことの様に言いのけた。
「え!おばさんここにある本売るの?貸本屋さんなのに?」
「ええ、ここにある本は全てお売りいたします、はい。どうぞどれでも」
「ありゃ、それじゃのんびりしてると借りて読めないねぇ」と本当は嫌み混じりに僕がいったら、
「どうぞお早目に」と言ったあとに、おばさんは屈託なく笑った。
僕も笑いだしてしまった。一日一冊づつ本を借りに来る客がいるのに、一方でこれから借りてくれるだろう本を売ってしまう。一応貸本屋と聞いていたので最新刊まではちゃんと読めると思っていた僕が甘かった。なるほど貸すより売る方が単価が高いのだから、売れるときにちゃんと売った方が良いのかもしれない。おばさんの気持ちを察するに、もたもたと借りている方が悪いのだ。そう思って書棚をみると確かにほとんどの漫画は全巻そろっていなくて歯抜けになっている。なんで今まで気付かなかったのだろう。途中の巻が抜けてれば借りる気にもならないのが普通だろうと思えたので、
「それじゃ、今日はこれで」
とおばさんに言ったら「ありがとうございましたー」と乾いた声で送りだしてくれた。借りたい本がなければ借りないで帰る。なんでもないことだった。ちょっとだけ楽になった。


それからしばらくは本を借りなかったけれども、なんとなく暇だったから何でもいいから漫画本でもと思った日があって、借りる決心がないままおばさんの店のアルミサッシを開いた。おばさんが返事をして、チョコンと座るまで今までと何も変わらなかった。おばさんはいつもの「いらっしゃいませ」の後に「お元気でした?」と付け加えたので, 僕は「はい」と答えた。そのあとどういうわけか
「借りると決める前におばさんを奥から呼び出すのは悪い気がしてた」とつい本当のことを言ってしまった。するとおばさんは
「そーんなことございませんのよ」
といって笑って、
「それじゃぁね。なんですからお茶でも飲んでいってゆっくりして下さいな。時間ありますでしょう?」
と言った。
「そりゃ、学生だから時間は売るほどあるけれども、悪いなぁ」
と僕がいうと、
「まぁ、そう言わずに」
と言って机の前の椅子をすすめたあと、おばさんは奥に引っ込んでヤカンに水を入れてガスにかけた。それでもってすぐいつものところに戻って座って僕とおしゃべりを始めた。以前話した出身地の話やら何やらを確認している間にヤカンがピーピーしたのでおばさんは奥に引っ込みお茶を淹れて戻ってきたが僕の分だけだった。「どうぞ」「頂きます」といった会話のあと僕はお茶をすすりながら、逆におばさんのことを聞いてみた。
「何年くらい本屋さんやってるんですか?」
「もう、○○年くらいですかねぇ」
「はぁ、長いですねぇ。そのころは貸本屋さんってのは沢山あったんですか?」
「ええ、沢山ありましてね。今同業者ってのは本当に少なくなりました」
なんてな話をした。どうやらおばさんは結構な高齢で未亡人。息子さんと二人暮らしとのこと。そんなことを聞いて一冊本を借りてその日は店を出たと記憶している。


その後は行く度におばさんはお茶を出してくれた。最初は「おばさん、お構いなく」と言っていたけれども、慣れてくると怖いもので、店に入るなり椅子にどかりと座り「暑くなりましたね」などと時候の挨拶など僕からしだすという様になっていた。一杯お茶をいれてもらって、会話が本格的にはじまる。

おばさんは本当に話がうまかった。二十歳にもならない僕とも長くおしゃべりが出来る話術があって、こちらも心地よくしゃべるし、おばさんも相槌だけでなく僕が感心することや、新聞で読んだこと、昔はこうだったなんてちょっと懐かしいことを話してくれた。内容というより話術が素敵だった。表情がころころと変わって、眉毛も口元も目も本当によく動いて話が良く伝わる。僕もおばさんに笑ってもらったりするのが嬉しくて本当に上手に話をしようと、話かたを毎日考えていた。話たいことを話すのではなく、話たいことを如何に削るかが本当に大事だというのはこの時勉強したと言ってもいい。


目的はどうあれ、おばさんの本業が貸本屋だから。一冊くらいは借りて帰るのだけれども、面倒臭い客のせいで、おばさんからすれば全くの「くたびれ儲け」の日々が続いたと今では思う。でも、ただの一度も嫌な顔をしなかった。今考えれば不愉快な日もあったと思うが、客の質問にたいする受け答えにも見られるように、売り上げは少なくても貸本屋の本当にプロだったのかもしれない。

こんな愉快な日常が東京にもあるというのをお袋に話してみた。
「ふーん、そんでお前は100円ポッチはらってお茶御馳走になってくるんかい?」
と電話の向こうでお袋は笑った。
「うん、まぁ毎日は悪いから時にはさっと借りたりもするけどね」
と言うと
「まぁ、おばさんも忙しくないんだろうけど、あんまり御馳走になるばかりは良くないから、こんどこっちに帰ったときお土産でも買ってゆけばいいがね」
と言った。
「そうだね、なんでもおばさんは『歩く会』とかに入っているらしくて、どっか行って散歩したあと、
お土産買ったりするみたいだけど」
「そうかい、じゃ、甘いもんでも送ってやろうか?」
「いや、帰ったときでいいと思うよ」
「そうかい?とにかくあんまり御馳走にばかりなるんじゃないよ」とお袋は念を押した。

そのうち大学も試験が始まりあんまりおばさんと話す暇もなく、そのまま夏休みに突入して、サークルの合宿に行ったり実家に帰ったりして二か月ほど間があいた。後期が始まる時期になっていよいよ東京に帰る段になると、お袋はおばさんのことを覚えていて僕にお土産を買うように言った。なんとなく二か月も間をあけてしまったし、考えてみると一箱2000円もするお菓子はお茶のお礼にはどうかと思ったがお袋がガンと譲らないので、少し大げさな気もするが大きなお菓子を持って帰りがけにおばさんを訪ねた。

おばさんは久しぶりであるにもかかわらず早速お茶を入れてくれた。僕はお袋からだといいながらお菓子を渡すと大げさに喜んでくれて、久しぶりの実家はどうだったかとか、東京は暑かっただとか、思い出したように「お土産まで頂いてありがたい」などということを何度も言って色々な話をした。

その後はお菓子の効果とも思えないけど、一般の客(そんなものがこの店にいるのかどうかわからないけど)という扱いでは無くなって、延滞料金はおまけになるわ、多めに借りると割引になるわで益々おばさんの商売はくたびれ儲け度を上げていった。ちょっと心配になるくらいだが、若くて周りに甘えるのをなんとも思わなかったせいかお茶を頂いておばさんと面白く会話するためにチョクチョクと通っていた。授業に行くよりはおばさんとおしゃべりする回数の方が多かった。

その年の12月、理由があって赤羽から北赤羽に引越したせいで頻度は格段に下がったけれども、自転車で通えるところだったので週に一度くらいの割合で、おばさんのところにお邪魔していたと思う。奇跡的に北赤羽にも個人経営の貸本屋があった。そこは「真面目な貸本屋さん」だから全巻必ずそろっていて、延滞料金もきっちり取った。店番(経営者)のおばさんは居るんだけども、そっちのおばさんは、話をまくしたててするタイプで、話術には感心するけれども、もっぱら僕は聞き役だから何かほっとするものが無かった。おばさんのところが「ホーム貸本屋」という感覚になっていたので、これが長く続いた理由かもしれない。

北赤羽に引越してから、おばさんとの会話の内容はだんだん濃くなってきて色々なことをおばさんに話していた。おばさんの相槌も、僕の話を受けて話を展開させるのもさらに磨きがかかって、というより本領を発揮しだして本当に楽しい会話になった。

80近い大屋さんに最近彼氏が出来たらしく、家賃を払いに行くのが気まずいんだと話すと、
「まぁ、でも払わないわけいかないですからねぇ、ははははは」
なんて吹き飛ばすこともある一方で屋台のラーメン屋さんがチャルメラを吹いてやってくるんだというと
「懐かしいですね、昔はねぇ...」
などと古い話を、まるでこちらが昭和の映画をみているような感覚になるように話をしてくれたりもした。

新聞屋の勧誘が来て「洗剤を置かせてくれるだけでいいです」なんていうから、玄関に置かせてやったら急に怖い目になって契約を迫るもんだから、ビビって契約した話をしたら、おばさんはとても気の毒だと同情してくれた。さらに数日あとに、新たな新聞勧誘員がやってきて、泣きそうな目で僕を見て洗剤の単価まで説明されたので、かわいそうになって契約したんだけど考えてみると、学生よりかわいそうな奴もいないから何で同情なんかしたんだろうと話すと、
「それが手なんでしょうね。色々な手があるらしいですよ。」
なんて相槌を打ってくれた。
「でもおばさん、そのせいで僕の家には二つも新聞がくるんだよ、どうしよう」
なんていうと大きな声で
「まぁ、同時に取ることにしたの?ははは、読み比べもいいんじゃないですかねぇ、あはははは」
なんて軽く吹き飛ばしてくれもした。

僕の表情を見ながら絶妙なおしゃべりをしてくれたし、僕もおばさんの話術を真似したいと思って懸命に聞いたり喋ったりもした。おばさんとの会話はとてもゆっくりとした呑気な内容だったけれども、あっという間に時間が流れて僕の午後のお茶のひと時をいつも平和に与えてくれていた。

あたりまえだけど、こんな平和な生活は大学生のうちだけに決まっていた。とうとうというか、やっと4年生になり、僕は希望がうまくいかず東京を離れて東北、仙台に住まなければならないことになった。言ってみれば都落ちな人生を歩く感じがしていて本当に気持ちが沈むことが多くなった。

この頃から僕はおばさんとの思いでを振り返るようになったが、楽しいと思う反面、随分と迷惑をかけていたのではないかと思うようになって、本当に気が重くなってしまった。色々人生がうまくいかなかったせいで、ネガティブな思考に陥ってたせいかもしれない。おばさんは僕が帰ったあと疲れて溜息でもついているのだろうか?単価が安い悪い客なんだろうか?なんて思い出して本当に自分が恥ずかしく、つまらなく、馬鹿な人間に思えてきた。夜中天井を見ながら横になりながらも、とにかくおばさんとの思い出がすべて自分一人で踊り狂っていた狂言の様な気がして本当に嫌になった。でもおばさんは好きだし、ここは去り際に大きく(といっても大したことはないけど)おばさんに儲けてもらうことくらいしか自分を納得させることができない気がしてきていた。

今考えても、こんなこと考えてたなんて本当に馬鹿だったと思う。

東京への未練を断とうと思って、僕は2月から仙台に引越すことにした。おばさんにはいつ挨拶をしようかと思ったけれども、ギリギリまで挨拶を遅らして結局挨拶ができないという不義理をするよりも、少し早めにお別れの挨拶をすることにした。お別れの挨拶をしてしまうと、まだ東京にいるのにおばさんのところに行けなくなってしまうけども、覚悟を決めた。

いつもの様にアルミサッシを開けてチャイムがなっておばさんが返事をして奥から出てくる。


「おばさん、今日はお別れの挨拶にきたんだよ」
「まぁ、いよいよお引っ越しですか。お時間あるならお茶でも如何ですか」
といつもの様にお茶をすすめてくれた。お茶を頂きながらもう4年もお世話になったことや、借りようと思った漫画が売られて読めなかった思い出、この4年でこの周りの店も潰れたり新しいのが出来たりなどという思いで話、その他色々な話をしながら時間を過ごして、「そろそろおいとま...」というとおばさんは「もう一杯如何ですか?」などとお茶をすすめてくれた。いつも以上にホッとするゆっくりとした時間が流れた。僕もすすめられるままにお茶を飲んでいたけれども、「本当にそろそろおいとましようと思います」といって椅子から立ち上がった。

この日はおばさんのところで一番高い本を買おうと思っていた。もしこの4年間おばさんに迷惑をかけ続けたとしたら、それが僕ができる一番のことだと思っていたから。おばさんのとこの本はあんまり売れないし、高い本ならなおさら。何日か前から本棚を端からみてみて、高い本を探しあてていた。

「おばさん、この本売って下さい。」
といって僕は一つの本をとった。ウルトラマン研究序説だ。
「あぁ、ウルトラマンとか小さいころよく見てました?」
「大好きだったなぁ。再放送とか朝の5時半とかだったけど早起きして見たりしてました。この本は
ウルトラマンを大の大人が真面目に議論してる本だって聞いたことがあるから読んでみたいと思ってたんです。」

「それでは、記念に差し上げますよ」とおばさんは言った。


僕は焦ってしまった。それは気になっていた本だけど、効率の悪い客だった罪滅ぼしのつもりだったのに。
「おばさんそんなわけいかないよ、ちゃんと商売してよ」
と僕は笑いながら、半分困ったような顔をして言った。
「いいえ、差し上げます」
と凛とした口調でおばさんは譲らなかった。

本当に自分が嫌になった。よりによって一番高い本をおばさんから頂くことになってしまった。
あんなにおばさんと一杯おしゃべりをしたのに、何一つ僕はおばさんを見ていなかったのだろうか。
そうだ、この4年間のおばさんとの会話は本物だったんだ。店の人と客という営業の間柄ではなく、僕はおばさんと人間としておしゃべりしてたのに決まってたんだ。自分のつまらない挫折で、希望が通らず自信を失っていたこと、サークルの人間関係が嫌で嫌であんまり人間が好きでなくなっていたり、そんな自分の下らないくよくよした気持ちが周りのものをつい悪い方悪い方に見てしまっていることに本当に気付いた。おばさんならお別れに本をくれるに決まっていたんだ。なんで手土産持って行って挨拶だけにしなかったのだろう。本当にはっきりと物事が分かったけど、頭の中はごちゃごちゃになって行く。ついに僕は自分の馬鹿を諦めた。

「おばさん、じゃ、ありがたく頂きます。仙台からお土産もってくるから」と僕は言い訳がましく言った。
「まぁ、そんなお気づかいなくまた来て下さい」といっておばさんはいつものようにカラカラと笑った。
僕はアルミサッシを閉めながらおばさんに何度も頭を下げて、お礼をいった。


それからおばさんを尋ねたのは3年後だったと思う。彼女(今のカミサン)と一緒に洋食のいしだで食事をすることにしていたから、東北からササカマを持っておばさんを久しぶりに尋ねてみることにした。3年もの長い不義理な気がしたが、おばさんの店はいつものようにあって何となくほっとした。
「ねぇ、ちょっとそこらで時間潰してくれないかなぁ。俺おばさんとゆっくり話すよ。多分お茶いれてくれると思うんだ」
と彼女に頼んだら
「ゆっくりしておいで」
といってくれた。アルミサッシを開けると、あのときと変わらないチャイムがなって奥から全く変わらないおばさんがでてきた。おばさんは大きな口を開けて驚いたと思ったら、
「あらあら、えーーと、○○さん!そうでしょう?」
と笑顔で迎えてくれた。僕の名前まで覚えていてくれた。僕は御無沙汰の挨拶をしてササカマを出して、当たり前のお土産で悪いとお詫びして、3年前と同じように椅子にすわった。おばさんは当たり前のように奥に引っ込んでお茶の用意をしてくれた。「仙台は寒いか」などという会話から昔の話まで、30分以上していたと思う。おばさんはアルミサッシの出入り口まで僕を見送りに来てくれて「それじゃまた」といって笑ってくれた。「また来ます」といって僕は一度振り返って彼女の待つだろすずらん通りの本屋に向かった。やっぱり儲けにもならない僕と楽しくおしゃべりしてくれた。
「もっと話してくればよかったのに」
「んー。まぁちょうどいいだろう。それにまた来ればいいんだよ」
この時点でも僕はおばさんに遠慮していた。貸本屋の客ではなく昔の知り合いとして振る舞うにはこれくらいの時間がいいだろうと思った。それに、またくればいい、それでいい、そうに決まってる。とても強く決心したけれども同時に自分に嘘をついていないか不安にもなった。残念だったが不安が的中して僕はその後長い間赤羽に足を向けなかった。


東京で仕事をするまでさらに数年かかったけれども、東京に戻ってからも一年くらいはなんとなく赤羽には足が向かなかった。「あまりにも長くおばさんにあってないから忘れられてるかなぁ」、くらいなら勇気をだして会いに行ったろう。「昔お世話になったものです」と挨拶すればいい。そういう挨拶ができるくらいの大人にはなっていた。足が向かなかった本当の理由はおばさんが本屋を閉めて、いやもしかして亡くなっているかもしれないと怖い想像をしてしまったからだ。あのまま僕の思い出の登場人物にして取っておこう、僕が赤羽のあの場所に行かなければいつまでも思い出の中でおばさんはあの店をやっているのだから、そんなことを思うとなおさら行けなかった。

でもある日、行くことにした。お土産も何も持たず、ただおばさんに会いに行こうと決心して出かけた。赤羽駅は大きく綺麗になっていて、すずらん通りは巨大な屋根の付いた通りになっていて、昔ながらの商店街ではなくチェーン店が多く店を構える通りになっていた。ダイエーの前の道を左に曲がると、もう町医者はなく、しばらく歩くとおばさんの店が。おばさんの店のアルミサッシの入り口にカーテンがかかっていてくれたら僕はどれだけ救われたろう。でも、アルミサッシはなく茶色いトタンの壁に変わっていてお店ではなくなっていた。窓があったから中を覗いてみたが本棚もなくなっていた。もう店舗ではなかった。「ああ、来るのが遅すぎた」と思った。

こんな結末は分かっていたが、分かっていたが、僕は自分の不義理が悔しかった。
もう一度だけおばさんに会いたかった。あのとき本を買えずに譲ってもらったのは僕が馬鹿だったからだと説明したかった。本当に年齢が離れていたけれどもお友達であったと、もう一度会えば確信できたと、それだけが悲しかった。

おばさんが僕とおしゃべりしていたのは営業していただけなのではないかと、少しでも疑ってしまったことの影響は今でも残っていて、僕に好意を持ってくれたり、友達になってくれたりする人に少しだけ疑いを持ってしまうことがある。だってあのおばさん以上に素敵におしゃべりするなんてこと無いわけで、そんなおばさんを疑ったのにこの人をそのまま信じちゃうの?って思ってしまう。本当は嫌々話をしているんじゃないのかな?面倒くさいのかな?本当は僕を嫌いなんじゃないかな?と。

赤羽のおばさんともう一度だけ会って、楽しくおしゃべりできたらそんなこと思わなくなるんじゃないかと思う。おばさんは亡くなったのだろうか、今でもあまり考えたくない。昭和の時代をひきずった呑気な貸本屋さんから頂いたちょっとほろ苦い思い出。これも昭和からの贈り物だと、半分あきらめ、半分反省をし、僕の人格の一部として大事にしていこうと思っている。
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